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本を読んだり旅行したり映画を見たりカフェに行く毎日

思ってたよりも

わざわざ来たのにがっかりすることってなんだろうか。

誇大広告の映画、アミューズメントパーク、ネットで事前にチェックしていた洋服、食事、まぁもろもろあるけれども、かかる時間とお金を加味して、妙にがっかりされるのが旅行先の名所というものである。

 

まったく話は違うけど、海外というものに異常な期待をしていたころがある。たぶん高校生くらいの時。

たいした財力もなく、親が海外に興味があるわけでもなく、でもなぜか我が家は、兄と私だけ海外というものが妙に好きだった。兄はアジアに、私はヨーロッパに、妙に執着していた。

大学生のときに、親に頼み込んでアメリカへの1ヶ月の留学切符を手に入れた。大学の英語授業の一環で、5〜60万くらい払えば、ホームスティで1ヶ月間、さらに学校に通い、ついでに2単位くれるというもの。この「2単位」というのに食いついて、金持ちの親がホイホイと出してくれた人がほとんどだったけど、中には本当に海外に興味を持っている人もいた。私もそういう人間だった。

初めての海外にして、1ヶ月のホームスティ。2月の寒空の下、カリフォルニアで生活した。

毎日が楽しかった。おもしろかった。新しいものに出会うのはやっぱり楽しいんだと思った。買い物すればもらうただのレシートさえも、面白いものに思えた。サンフランシスコやMBAの観戦は、授業の一環で行った。高いお金を払っただけあって、我々はちゃんと管理されたなかで、遊び、楽しみ、勉強した。

でも私はイギリスに行きたかった。

なぜかというと、ストーンヘンジが見たかったのだ。

ストーンヘンジ

イギリスに興味を持ったきっかけは、まぎれもなくハリーポッターだった。小学校5年生の時に読んだ夢物語に、私は取り憑かれていた。小学生の総合の時間に、好きな国について調べて発表するという時間があって、そのときに調べたのがイギリス、そして見つけたのがストーンヘンジ。これにも心を奪われていた。ちなみに総合の時間って今もあるんだろうか。

 

ストーンヘンジの魅力というものは、今でも説明できない。興味のないひとに言わせてみれば、ただの並んだ石でしかない。真意が解明されていないのだから、ますますそれは、ただの石でしかない。でも、それが見たかった。4000年以上の歴史を。そのころから、妙に古代史がすきだった。ストーンヘンジ。見たい。この目で。

 

そして大学4年生のとき、やっと来た。イギリスに。3ヶ月。最初の土日に、早速行った。ソールズベリーのその先にあるストーンヘンジまで。

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やっとここまで。

 

今でも思い出せる感動。雄大さに涙が出そう。やっぱり歴史が好きだと、こんなに心が動かされるものはこれしかなかったんだと再認識した。過度な期待を、現実が超える瞬間を今でも覚えている。かつて言われた「ただの石じゃない?」なんて言葉は、忘れていた。

 

話を戻すけど、過度な期待は時に、よくない作用を起こす。

ああこんなもんか、と、人はどうしてがっかりするんだろう。

思えば、期待して、期待通りのものが返ってくることは、少ないのかもしれない。

もっと綺麗、かわいい、心を打ってくれる、意外性がある、そう願っている。あわよくば人生を変えてくれるのではないかと。

どこかに行くこと、誰かに会うこと、何かを見ることで、自分を変えてくれると。対価を払っていればなおさら、人は願っている。なにか驚くほど素晴らしい進化や変化や衝撃を。

でも、なかなかない。変化とはゆるやかであると、衝撃とは静かであると、もうとっくに誰もが知って居る。それだけいろんなひとや出来事に、もう出会って来たのだ。期待してがっかりしても、それも一つの経験として持っておくしかない。

 

それでも日常は退屈だ。まだ、ずっと同じ場所にはいられない。息を飲むほど綺麗なものをまた見たい。あのときみたいに。だからまた一人になった。ひとりでしか見れないものをまだ見きれていない気がしたから。ちゃんと足を止めて安息の中にいくのは、もう少ししてからにしようと思う。それにはそれで、期待してる。